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こんな時期ですね [散歩]


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2-3分咲きの桜の木の下で、小さい子供連れのママさんたちが楽しそうにお花見をしていた。

タグ:桜 お花見

氷川坂・赤坂氷川神社 [散歩]


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氷川坂(東京都港区赤坂6丁目8番と10番の間) 標識には「ひかわざか・八代将軍徳川吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面にあたる坂である」とあります。

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氷川坂から氷川神社への入口

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赤坂氷川神社社殿・創立の起源は天暦5年(951年)といわれ現在の社殿は徳川8代将軍吉宗公が享保14年(1729年)に造営したもので本殿・幣殿・拝殿の三つの建物が一体となった権現造りの形式で東京都有形文化財になっています。
港区内には3つの氷川神社があり白金の白金氷川神社、元麻布の麻布氷川神社と区別するため赤坂氷川神社と言われているそうです。










義士洗足の井戸 [街歩き]


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時期外れですが、前回と忠臣蔵つながりで・・・
虎ノ門のニッショーホール(日本消防会館)正面入り口の裏手に「義士洗足の井戸」がありました。

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銘板には「元禄のころ、このあたりに大目付、仙石伯耆守の屋敷があり元禄15年12月15日朝、大石良雄以下47名の赤穂浪士が、本所吉良邸に討ち入り主君浅野内匠頭の無念を晴らし武士の本懐を遂げた。吉良邸を引きあげて芝泉岳寺にある主君の墓前に向かう途中、大石良雄は部下2名の者を仙石伯耆守邸に差し向け自首させた、その際に両名の義士は邸内の井戸で洗足して座敷にあがったと言う。この史実をもとにこの井戸を作り後世にあまねく伝承するものである」とあります。
(この2名は副頭領格の吉田忠左衛門と富森助右衛門だと言います)


南部坂 [坂]


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南部坂(港区六本木2丁目と赤坂2丁目の境)
標識には『なんぶざか・江戸時代初期に南部家下屋敷があったためといい「忠臣蔵」で有名である。のち険しいため難歩坂とも書いた」とあります。

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南部坂と忠臣蔵 ・ 浅野家断絶後、浅野内匠頭の夫人 瑶泉院は生家である三次浅野家・土佐守の下屋敷に暮らしてい、元禄15年(1702年)12月14日、翌日に討ち入りを控えた大石内蔵助は瑶泉院に暇乞いにおもむきましたが、吉良方に計画の漏れることをおそれて討ち入りを告げずに立ち去ります。
瑶泉院が見送った、この坂が歌舞伎や講談で「嘆く瑶泉院・苦しむ内蔵助」として有名な『南部坂雪の別れ』の場所です。


あれ!こんなところに・・・ [街歩き]


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赤坂の裏道を歩いていて港区立赤坂子ども中高生プラザ(港区赤坂6-6)の建物の片隅に『勝安房邸跡・勝海舟伯終焉ノ地ナリ・昭和5年12月・東京府』と刻まれた石碑を見つけた。
銘板には「この地は幕末から明治にかけて幕臣として活躍した勝海舟が明治5年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷の跡地です」とあります。
勝海舟さん晩年、赤坂に住んでいたのですね・・・



江戸見坂 [坂]


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東京都港区虎ノ門2丁目と4丁目の間
標識には「えどみざか・江戸の中心部に市街が開けて以来、その大半を眺望することが出来たため名づけられた坂」とあります。
ホテルオークラ本館と別館の間の道につながる急勾配の坂で、現在ではビルが建ち並び眺望の良さはありません。

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左手がオークラ本館、現在2019年春開業を目指し工事中。

虎ノ門金刀比羅宮 [寺社仏閣]


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東京都港区虎ノ門1-2 
讃岐丸亀藩主の京極高和が領地・讃岐の金刀比羅大神を万治3年(1660年)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後 延宝7年(1679年)に現在の地、虎ノ門に移ったと言います。

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桜田通り(国道1号線)沿いの虎ノ門ビル街の喧騒の中にあり、サラリーマンなどが通りがかりにお参りをしたり、いっぷくの清涼剤になっているようです。

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ここの手水舎はセンサーがあり、人が近づくと水が出るようになっていました^^

お買いもの [ひとりごと]

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ウィークデーの午前中だというのに大型商業ビルの駐車場には『混雑』の表示が・・・
あぁ~待たされるか・・・